ジョン・フォード『静かなる男』

 1920年代に生まれ故郷のアイルランドの片田舎に突然戻ってきたアメリカ人の男(ということは男は1880年代生まれか)。すぐ生家を見つけ、その土地の習慣などお構いなしにアメリカ風に即金で地主から手に入れる。ところが、気の強い地主の妹に一目ぼれ。男はすぐ地主の妹と結婚しようとするが、アイルランドでは通用しない。なかなか妹との結婚を許可しない地主に、味方の爺さんと一計を案じ、何とか結婚の許可を取り付ける。だがそれでも不服な地主は持参金を男に渡そうとしない。男は妻にアメリカ流に「持参金などどうでもいい」というが、それでは恰好がつかないと男をなじる。結局、男同士の勝負で決めることになり、村を挙げての大騒動に。二人は殴り合いの末に意気投合し、ハッピーエンドとなるのだった。(画像はhttps://cinepara.iinaa.net/The_Quiet_Man.htmlから)

 本作では、資本主義、個人主義のアメリカ、共同体、慣習(因習)のアイルランドが対比され、アメリカン・ドリームに疲れた男(男は元ボクサーで、試合で相手を殺してしまった過去がある)が、故郷に再び溶け込むまでを描く。後半、男がアイルランドの結婚の習慣である持参金を受け入れ、地主と男の勝負をする件が再アイルランド化のイニシエーションになっている。          

 パブの歌に「地主から金を奪い、オーストラリアに」という歌詞があった。共同体が強固ということは、地主と小作の「しがらみ」があるということであり、移民は貧困からだけではなく、その「しがらみ」を脱することだった。

 映画を見る前、大塚久雄の『共同体の基礎理論』を読んでいた。そこでは資本主義以前の共同体が取り上げられ、なぜ資本主義に至らないか分析される。パブの歌と同じ心情が脈打っている。しかし、共同体を批判するにせよ賛美するにせよ、「共同体」は、近代化の過程において、事後的に見出されるものであって、決して実体ではないことに注意すべきだ。

 その意味で、この映画は「共同体」の析出過程を描いているともいえるが、結婚した二人の幸せは続いたのだろうか?気になる。