産業社会と「風景」の発見

 産業社会は、「時間と空間の圧縮」(地理学者デビッド・ハーヴェイ)に駆り立てられ、風景は更新され続けてきた。それが新たな利潤を生むからだ。ターナーの有名なこの絵は、英国で鉄道が本格的に展開し始めた1944年に描かれた。

 霧の中を遠くからこちらに向かって突っ走ってくる大きな鉄の塊。自然を凌駕しようとする機械の息遣いと同時にそれが自然の中に溶け込んでいく様子がある。この絵は、テクノロジーによって新たな詩情が生まれた瞬間だったのかもしれない(これに関しては、柳田国男『明治大正史 世相編』1931年、アラン・コルバン『風景と人間』を読み、私の考察が間違い出なかったことが確認できた)。

 思えば鉄道は、自然の中を走り、景色を堪能させてくれる移動手段でもあって詩情やロマンが生まれやすい。それは田舎旅情を満喫させてくれる国内ローカル線や国境を越え文化を超えていくエキズティシズムが魅力の国際鉄道(オリエント急行やシベリア鉄道を想起)の根強い人気を見れば分かる。

 ところで、現代の「時間と空間の圧縮」はネットである。とくに最近はオンラインが盛況で居ながらにして世界中どこでも瞬時に物理的な制約を超えて画面越しに相手と対話できる。しかし、この仮想空間にどのような詩情や美が見出されているのだろうか。